【連載 第3回】木造デパートの時代 — 33店が灯した部品の聖火
東京ラジオデパートの75年をたどる連載・第3回。第2回はこちら。
屋根の下の部品街
1950年2月25日に開業した東京ラジオデパートは、木造2階建てに約33店が入居してのスタートでした。
路上との違いは歴然でした。雨の日も商売ができる。商品を安心して保管できる。常設の棚に部品を体系立てて並べられる。そして客にとっては、「あの建物に行けば、あの店がある」という安心感。露店時代に培われた「ここに来れば揃う」という価値が、建物という器を得て一気に安定したのです。
33の店がひしめく館内は、部品を探す学生、ラジオを修理する職人、放送や無線の技術者でにぎわいました。狭い通路に部品箱が積み上がり、店主と客が型番をめぐって問答する——今日まで続くこの館の風景は、最初期からすでに完成していたと言えます。
ラジオからテレビへ
1950年代の日本は、電波の時代を駆け上がっていきます。1951年に民間ラジオ放送が始まり、1953年にはテレビ放送が開幕。「街頭テレビ」に人だかりができた時代です。
ラジオの自作文化はますます盛んになり、やがてテレビの組立・修理へと需要が広がっていきました。真空管、ブラウン管、トランス、抵抗にコンデンサ——テレビ1台に使われる部品の数はラジオの比ではありません。部品街には、かつてない追い風が吹きました。
秋葉原全体もこの波に乗り、家電の卸と小売が集積する電気街として急成長していきます。その中でラジオデパートは、完成品ではなく部品という原点を守る場所であり続けました。
「作る人」の裾野を支える
この時代のラジオデパートを語る上で欠かせないのが、アマチュアの存在です。
ラジオ少年たち。アマチュア無線家たち。学校の理科教師。彼らは限られた小遣いで部品を選び、雑誌の製作記事と首っ引きで機器を組み上げました。1個の部品から買える専門店の集まりであるこの館は、そうした「作る人」の裾野をどこまでも広げる装置として機能したのです。
戦後日本のエレクトロニクス産業の躍進は、企業の研究開発だけで成り立ったのではありません。その足元には、部品街で育った無数の技術少年たちがいました。ラジオデパートの木造の床は、その揺りかごのひとつだったのです。
次回は、家電ブームに沸く1960年代——電気街の黄金時代と、その中での部品街の立ち位置を追います。
